[体験談]うつ病や不安障害で高校中退して二年間ニートを経て大学生になった私の人生

はじめに

私は2001年2月頃に生まれた。

幼稚園に入るまでの記憶は全く覚えていないので省いていきたいと思う。(ごめんなさい)

うつ病と不安障害の私の幼稚園までの人生

幼稚園

私の幼稚園の時のことを一言で表すなら『泣き虫』です。

その代表すべきエピソードを語りたいと思います。

私の幼稚園には、修学旅行ぽい行事があったのですが、出発前に同級生や親たちと別れの挨拶をするために集まったのだが、私だけが1人みんなの前で『お母さんと離れたくない』と泣き喚いたりして迷惑をかけたのです。

本当に当時の幼稚園の先生には申し訳ないと思っています。

このエピソードのおかげで個人的には、当時好きだった若い女の先生と同じ布団に寝れたのが当時は嬉しかったのだが‥‥

このようなことがありながらも私は無事なのかはさておき卒業しました。

うつ病と不安障害の私の暗黒時代の小学生生活

小学生

小学1年生

まず小学1年生から紹介していこう。

小学1年生はマザコンが幼稚園よりさらに加速して毎朝学校に行くときは母と離れたくないと泣き喚いていたのだ。(黒歴史1つ目)
そしてある日泣いて行こうとしなさすぎて家まで迎えに来てくれていた当時小学6年生の女性の先輩を泣かせたという出来事があったらしい。(私は覚えてなくて、後から母に教えてもらった)

小学2年生

小学2年生は泣き虫を卒業して気の弱い子供にランクアップした。
そのせいもあってある女子からは口撃されるということもあったが‥
初めて将来の夢もできた。
それは、当時優しくしてくれた教頭先生みたいになりたくて教頭先生になりたいと思ったのだ。
まあ、ここまでは順調だった。

小学3年生

そして、小学3年生の時に人生の転換期がやってきた。

私は、気の弱い子供から先生に『ババア』など暴言を吐く問題児に覚醒したのだ。(黒歴史2つ目)
当時の先生には申し訳ないと思う(2回目)
なぜ、私がこうなったのかは、当時の記憶が定かではないためなぜかわからないのだが‥‥

 

小学4年生

そして、小学4年生になる頃には、問題児のレベルも上がっていったのだ。
本当に当時の先生には申し訳ないと思う(3回目)

小学5年生

そして、小学5年生になり、調子に乗っていた私を教頭先生が私を見張るようになり、そこから少しずつだがおかしくなっていったのだ。(将来の夢として憧れた教頭先生とは別人)

私が授業をサボるようになった時、教頭先生が呼ばれて捕まえて無理やり連れ戻すということが起きた。
その時にアザなどができて、私は教頭先生が怖くなり、学校に行きたくないとネガティヴ感情が芽生えるようになった。
そしてとうとう、登校拒否をした。
もちろん、はじめは母も学校に連れて行こうとして、家の玄関や学校の門の前で泣いたりしながら格闘した。(黒歴史3つ目)
だが、ある日を境に母も無理矢理行かそうとはしなくなったのだが。
もしかしたら、人生ではじめて本気で母の前で『もう死にたい』と言ったのが影響したのかもしれないが。

小学6年生

そして、小学6年生になった時教頭先生がいなくなり、私は、学校へ通うことを再開した。
だが、私はネガティブ感情が抜けず、よく自殺をしようとする真似をしだした。
まあ、死にたくても勇気がなく、卒業前になる頃には、担任に『そんなに死にたかったら早く飛び降りろよ』と言われるぐらいになったのだが。

このようなことがありながらも私は、小学校を卒業した。

小学生編の余談

小学6年生のある日、なぜかはわからないが、いなくなったはずの教頭先生が来ていたのを見てしまい、走って逃げたことがあった。

 

うつ病と不安障害の私の人生、中学生編まさかのいきなり不登校!?

中学生編

中学1年生

では、あらためまして私の中学生の出来事を書いていきたいと思います。

えー、いきなりですが、まず、小学生と中学生の春休みに祖母の介護のため引っ越しました。

そして、新しい環境に慣れないため2〜3週間ほど通った後不登校になりました。

と、いままでは表向きはそう答えてました。

えーそうです。ほんとうは、うそなんです。

少しは確かにそういった面もあるかもしれませんが、本当の理由は、中学に入った後部活見学をしたことからはじまります。
何箇所か見学したんです。
吹奏楽部、バトミントン部、剣道部などなどです。
そして私は、剣道部に入りました。
入って、1週間後ぐらいの時にある3年生の先輩に注意されて、当時豆腐メンタルだった私は部活に行きにくくなり、学校に行きたくなくなり、不登校になったのが事実です。

怒鳴られたわけでなく、ただの注意でした。

正直、結構しょうもない理由です。

今考えればこの時には、結構うつ病の症状が出てたのではないかなと思います。

そして、不登校になりました。

しかも、もうちょっとしたら行こうと思ってたら、どんどん学校行きづらくなり、結果驚きの期間不登校してました。

なんと、約1年間です。

しかも家から全くと言っていいほど出ませんでしたし,夏休みの宿題とか全くしませんでした。

『あれ?1ヶ月間どころか2ヶ月間で家から出たっけ?』って状態でした。

家にいる頃は、ずっとパソコンをいじってました。

今考えるとよく飽きなかったな。

そして、1年間不登校した後、1年生の最後の終業式に勇気を出して行きました。
学校行ったら、久しぶりに剣道部の初心者仲間だった人と会ったんです。
『今からでも大丈夫やし、また剣道一緒にしよう。』
と誘われました。

そうです。私は、剣道部を辞めずに1年間幽霊部員をしてました。

わたしは、こう返事しました。
『うん』と。

その後、初心者仲間と少し話した後あるところに行きました。

それは、職員室です。

なぜ職員室に来たかというと教頭先生に用事があったからです。
そして一言『剣道部を辞めたいんですけど』と言いました。

そうなんです。教頭先生が剣道部の顧問で、辞めるために行きました。
正直、今更剣道部に入る熱意も勇気もなかったですし。

それはそうと、小学生編の私を知っている方はわかるかもしれませんが、振り返れば教頭先生との縁ありすぎじゃない?

 

中学2年生

そして、中学2年生に突入しますが、まず、9月までは普通に通えました。
友達もできましたしね。エッヘン(・∀・)
ですが、ただ1つ問題がありました。

それは、勉強です。

まあ、当たり前ですよね。小学生編を見た方ならわかると思いますけど、小学生の頃は授業をサボってましたし、中学1年生の頃は、ずっとパソコンいじって夏休みの宿題もしていなかったですから。

とくに、英語は絶望的でした。
英語は中学生からなので、入学した時ABC書いてる時に不登校になったんです。
それが、いきなり超難しくなるんですもん。
普通に無理ですよね。やる気がある人なら『ここからでも、英語勉強してやる』って思うのかもしれませんが、当時の私はもう諦めました。テストも10点代でも気にしてなかったです。

そして、9月ぐらいの時にまた不登校になりました。
理由はないんです。いじめとかなく友達とも良好な関係だったのに、学校行くのがなぜだかつらいと言う状態でした。
この時の私は、うつ病かもしれないと思いながらも自分は、それを認めたくなくて、病院にも行かんわと考えてました。
そしてまた、休めば休むほど、学校に行きづらくなり3ヶ月経過しました。
そしてまた、勇気を振り絞って学校に行きました。
そして、行ったら行ったで、楽しいとなって、定期的に学校に行けなくなったり、行ける期間があったりを繰り返しました。

中学3年生

そして、3年生になった頃は、行ったり行けなくなったりを繰り返しは、変わらずですけど、行ける日も昼まではテンション高いのに、昼からはテンションが低くなるとおかしくなっていきました。

そして、なんやかんやコロナ禍が始まるまでは1年に1回同窓会するほど仲良いクラスメイトとの別れがきました。

ただし年々人数が減っていく。

中学生編の余談

勉強面は、中学3年生の頃に学年最下位をとりました。

うつ病と不安障害の私の人生、高校入学から中退まで

高校生

高校1年生

私は、高校生活が楽しみすぎて入学式の日に一番乗りで行きました。

まあ、自分って結構新しい生活ってなったらテンション高くなって調子に乗ってしまうんですよね。

余談にはなるんですけど、大学入学した時も調子に乗って距離感間違って、未読無視されたりあるんですよね〜。

まあ、それはさておき高校デビューは結構成功したと思います。

でも、中学生編では説明したあの発作がでたんですよね。

定期的に理由もなく学校に行けなくなるというのが5月から徐々に現れ出したんですよね。

でも、それでもはじめは無理矢理行ったりしてたんですけど、とうとう無理しすぎて行こうとするだけで、熱とか吐き気とかの症状が出てきたんですよね。

まあ、1年生の時は、担任の先生も理解があり、なんとか単位ギリギリですけど行けてたんですよね。

高校2年生

そして、2年生に上がった時に先生につらいことを相談したりもしたのですが、なかなか理解を得られず、精神をどんどんすり減らしていったんですよね。

そして、2年生の5月頃か6月頃ぐらいだったかオーストラリアの修学旅行があったんですけど、私はその直前本来なら楽しみであるオーストラリアの修学旅行であるはずなのに精神的に弱っていて、その旅行に行くのも辛かったけど、一生に一回だと思い、他の人からしたら遊びだったんだろうけど、自分の中ではものすごい頑張って行けたんです。

そして、時は過ぎ一学期の期末テストの日に教室に行くのが辛くて、別の部屋である先生に言われた何気ない一言だったとは思うんですけど、『修学旅行行くのに学校はちゃんと行けないんやな』と。 確かにその通りとは思うんですけど、私の中で『修学旅行も苦労して行ったのに他の人からしたらそう思われるのか』と思って、心が折れてしまったんですよね。

 

中退

そしてそのまま、夏休みに突入して、何もやる気が起きず夏休みが明けても学校に行けず、毎日のように泣いてたんですよね。

今考えれば、この時どころか中学生の時には頑固にならず、抗うつ薬を医者に行って、貰えば今の人生と違ってたのかなとは、今でも思うんですよね。

うつ病と不安障害の私の人生、絶望と現実逃避のニート期間

ニート生活の始まり

私は、ニート期間何をしていたかというと一言で言えば絶望と現実逃避です。

なぜ、絶望したかというと、「このまま中卒で働こうとしても経験上続ける自信もないし、一生家からも出られないんだろうか。」「生きてる意味もあるんだろうか」と考えてました。

それから私は、家から一月に一度食べに行くために出るのが限界でした。(ただし、個室じゃないと行けないので食べに行くところもなかなかなかった)

現実逃避

そして私は絶望に耐えきれず、「小説家になろう」の小説と漫画を読み始めました。

これが、現実逃避の始まりで、食事と寝てる以外はずっと読んでました。

でも、定期的に現実を思い出したりもして、当時の私の口癖は、「もう自分の人生終わった」でした。

そして時が経ち友達が高校卒業した後ぐらいから、みんな高校卒業してるのに私は何してるんだろうと少しづつ現実逃避が解けていって毎日泣く毎日でした。

現実逃避をやめる

そして、現実逃避が解けた私は、今からでも高校に通い直したいと思い、母に頼んだんですよね。

「このままじゃダメだと思うから、高校だけでも卒業したいから通いたい」と母に定期的にある通信制高校通うのを、勧められていたので、そこの高校に通いたいと言いました。

それを言ったら母は、泣いて喜んでたので、本当に私は、母に苦労をかけてきたなと後悔とここで少し前向きに生きようと思いました。

 

 

そして、2度目の高校に通うことになりました。

ニート生活の時のことを詳しく書いたのは、こちらです。 http://utuotake.com/2021/09/10/587456/

 

うつ病と不安障害の私の人生、2度目の高校生活から卒業まで

2度目の高校生活

私は、無事通信高校に編入しました。(ただし、通うのは、一ヵ月に1回でした)

それからは、学校の課題をしてたんですけど、ニート編の最後の方で書いたんですけど、現実逃避が解けたんですよね。

そしてそのことによってあることが起きたんですよね。

不安

それは豆腐メンタルな私は全てのことが不安になってきたんです。

例えばですが、『飛行機が落ちてきたらどうしよう』とか、飛行機の音がするたびに思ってたんですよね。

しかもそれ以外にも次から次と不安になってきて、とうとう起きてるのも辛くなって、学期単位に課題を出されるので課題を早く終わらせて1日の半分以上寝るようになりました。

ですが、1日ずっと寝れるわけもないのでどうしても起きてる時間は、ずっと不安で仕方なかったです。

この時期の口癖は、『死にたくない』でした。

しかし、この期間はあまり長く続かなく、(1ヵ月ぐらい)解決したくて病院に行くことになりました。

病院に行く

病院に行き、診断してもらうと『不安障害とうつ気味やね』と言われました。

この時の私は『やっぱりか』と思いました。

それから薬を飲み始めたんですけど初めて飲んだ時、頓服の薬はものすごい効き目で、ほぼ家からほぼ出られなかったのが、徐々に食事に出かけるぐらいですが出られるようになったんです。

進路

そしてどんどん進路について考える時期に来たんですけど、どうすればいいかわからなくて後回しにしてたらいつの間にか8月終わってたんですよね。

そして9月に『大学に行きたい』ってめっちゃ考えるのが遅いのですが、言いだしました。

ですが、はじめは大学に通うのもこれまでの経験上無理かもしれないと弱気になり、通信制の大学に行こうとしてたんですけど、『このままで家に引きこもり続けて本当にいいのか?』と思い普通の四年制大学に進学しました。

そこからはスタートが遅かったり、元のスペックが低いので、受験に受かるためにがんばりました。

そして無事合格しました。

それでようやく5年もかかりましたが、高校を卒業することができました。

そして大学生になり、新しい春がやってきました。

うつ病と不安障害の私の人生、大学入学から現在まで

大学デビュー

私は、いろいろな経験をしたのち今年の4月、20歳で大学に入学しました。(2021年8月31日現在)

正直ものすごい楽しみで仕方なかったです。

『いっぱい友達作って初彼女作ってやる』と息巻いていました。

そのために大学で友達を作る方法を調べたりしました。

例えばですが、Twitterでハッシュタグをつけて春から〇〇大学と書くと友達が作りやすいというので Twitterのアカウントを作って投稿しました。

そして、 Twitterで話したのですが3年間ほど現実どころかインターネットでも親族以外とほぼ話してなかったのでものすごいどきどきしながらも話し、現実でも会って仲良くなったりして順調な大学デビューを果たしました。

ツイ廃になる

しかし、本来は同じ大学の人と仲良くなりたいと思って Twitterをはじめたのですが、 Twitterにハマり他の大学の人とも仲良くなりたいと思い他大学の人をフォローしたりしてどんどん Twitterの沼にハマっていき、いじってる時間が多い日は驚異の11時間超えなどもありました。

しかも、しっかり8時間ほど睡眠をとっているにもかかわらずです。

見事現在では、フォロワーが2000人以上のツイッタラーになってしまいました。(2021年8月31日現在)

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さいごに

最近では Twitterもやるのも飽きてきて夏休みに突入してやることもないので、ブログをはじめた感じです。

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